社会への怒りは忌避すべきもの?

2020年09月20日

 いらっしゃいませ。

本日は、スピリチュアル界隈でたまに見聞きする「スピリチュアル的に怒りのエネルギーは悪いものなので、政治や社会問題に関わるのはやめましょう 」という考え方について普段から感じている事を書きたいと思います。

怒りを忌避する人の中には「怒りは重くて攻撃的なので嫌だ」と感じる人も居ると思いますが、攻撃と怒りはイコールではありません。

今回ここで言う「怒り」というのは「現状への不満」「問題意識」と捉えていただき、このまま読み進めていただけますと幸いです。

政治への怒り、勤め先に対する想い、学校に蔓延する理不尽な現状

それらに対して怒りを抱き、抗議するのはいけない事なのでしょうか?

波動を下げ、自らを幸せにしない感情として遠ざけるべきなのでしょうか?

怒りは本当に何も生まないのか

結論から申し上げますと、私は怒りは忌避する必要は無いと考えています。

特に「政治に怒りを抱いても無駄だ。自分の事に集中すれば良い。どうせ現実は変えられないので選挙なんか行かなくても良い」という意見には反対です。

選挙の投票に行くのは義務ではなくあくまでも権利なので押し付ける事は出来ませんが、この場合は「スピリチュアル的に怒りのエネルギーは悪いものなので、政治に関わるのはやめましょうね」という考えがベースに有る場合を指します。

また、会社や学校に蔓延するあらゆる理不尽。

特に理由の無い賃金格差、男女差別、新人へのハラスメント、飲み会の強要など。

こういったものに対して何を言っても無駄なので、自分の感じ方を変えるかとっとと辞めて自分のビジネスを持って自立しましょう!

そういった意見も世の中には有ります。

しかし、私は思います。

自分がどれだけ他人の怒りの恩恵を受けているのか解っていますか?と。

例えば私の性別は女性です。

生まれた時代が時代なら、選挙権も持たず、男性と同じ仕事をしてもベースの給料が低かったでしょう。

今はそういう時代ではないのですが、それは多くの人が怒りの声を上げてくれた結果です。

政治でも何でもそうです。

今自分が生きている世界に有る物は、必ず誰か作ってくれた人が居るのです。

多くの人が悔しい想いをし、辛酸を舐め、それでも後進の人達の事を考えて声を上げ続けてくれたから今があるのです。

それを「スピリチュアル的に怒りのエネルギーは悪いもの」という考えで否定するのは、大変厚かましいと思います。

自分の為の人生だが、自分の為だけに生きるべからず

大前提として、誰もがその命は自分のものであり自分の為に生きる方が良いのですが、恩恵を受けっぱなしは無責任だという矜持は人生のどこかで持った方が良いです。

例えば、現実にこどもの貧困という問題が有ります。

大人が「社会に怒っても無駄なので自分の事だけ考えます」と言ってしまうと、こどもの貧困は永遠に無くなりません。

「自分の事は最大限の努力をして何とかする」という事と「社会の仕組みは変えなければならない」と考える事は両立出来るのです。

社会の仕組みが生む苦しみは、内観でも自己責任論でもなく社会の仕組みを変える必要が有ります。

でなければ同じように苦しむ人が再生産され続けるのです。

そこと向き合わずに怒りを忌避していてはただの現実逃避です。

未来の人達の為、大人として今自分に出来る事は何なのか?

それを自問自答して小さな事で良いので実践していく。

ただそれだけの事を多くの人が諦めずに続けてくれて今がある。

逆を言えば誰もが怒りを無い物として忌避していたら、今は違った世界となっていた事でしょう。

あまりにも「波動」や「ポジティブで居る事」にこだわり過ぎるとそれは現実逃避になりかねません。

だって今生きているのはどこですか?

この地球の、この国ですよね。

スピリチュアルは現実に活かせないとなんの意味も無いのです。

選民意識を刺激し、「目覚めていない人は可哀想」と悦に入って世間ずれする為のものにしていただきたくありません。

こうなると大半の人とはマトモに話が出来なくなります。

自分が幸せに生きたいのはどこでなのでしょうか?

いつなのでしょうか?

死んでから、あの世で、ですか?

違いますよね。

今、ここで、ではないでしょうか。

自分も現実世界を造る一員であるという事を忘れずに居ていただければと思います。

あなたの一票は政治へ影響を与え、多くの人の生活に影響を与えます。

会社ではあなたの抗議でハラスメントの被害者は救われるかもしれません。

社会への怒りを発信していく事で議論が生まれ、今まで目に見えなかった問題点が炙り出されていきます。

また、人権意識についてもそうです。

多くの人の怒りを見て「これは問題だったのか」と気付く人が出てきます。

そうやって社会は成熟し、多くの人が快適に暮らせるように世界が変わっていくのです。

「怒りは無意味」というのは、あくまでも「自分の感情の問題」で済む時の話です。

社会の成熟の為に放たれた怒りの声を黙らせたり、自分一人だけが快適なら構わないという姿勢で居る為にスピリチュアル的解釈を都合良く用いないでいただきたいと思います。

あなたは無力な存在ではなく、確かにこの世界を造る重要人物の一人です。

それを忘れないでいただければと思います。


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