生存者バイアスというマウンティング

2019年05月10日

 いらっしゃいませ。

まず、生存者バイアスにかかり他者を批判するのはみっともないマウンティングであるということを先に述べておきます。

生存者バイアスとは

生き残ったもののみを基準として評価するバイアスのことで、脱落したものの存在は無いものとみなされます。

いじめ問題、奨学金問題、毒親問題、パワハラ、ブラック企業問題では非常に多く見られる現象です。

例えば、奨学金を貸与型から給付型に変えようという声が増えると必ず出てくる意見にこういうものが有ります。

「自分は学校の前後にアルバイトをして必死になり卒業をした。ちゃんと自分で返済した。学校に行きたいなら自分で稼いで返済するのが当然だ」

またはこんな例も有ります。

「パワハラ?あのねぇ、私の時なんてもっと酷かったわよ。みんな我慢して耐えたのよ。まったく今の若い人はすぐパワハラだと言い出して甘えているわ」

こちらもよく有る例です。

「僕は学校で毎日いじめられても3年間一日も休まずに学校へ行った!いじめで不登校になるなんて甘えている!」

いかがでしょうか。

一度は耳にしたりどこかで目にしたことが有るセリフがなかったでしょうか。

これらは全て今回のテーマである「生存者バイアス」です。

生存者バイアスにかかる人に欠けている視点

生存者バイアスにかかっている人は、脱落者の存在を認識している場合が多いです。

そしてかつての自分が脱落する側になる可能性が有ったことも知っています。

そしてもう一つ。

サバイブできたのは自分の力であると思っています。

冒頭の奨学金問題を例に見てみましょう。

この人は朝から夜まで働き、学校を卒業しました。

それは根性だけで成し遂げられることでしょうか?

答えはノーです。

途中で倒れない肉体が有ったから、やり遂げることができたのです。

生存者バイアスにかかっている人はある視点が欠落しています。

それは、自分が「耐え抜くだけの強さに恵まれた」という事実についてです。

「そんなことない!体調も悪かったが頑張ったんだ!」という主張も有るでしょうが、それでも生き延びたのです。

突然死しなかったのです。

誰もが同じでしょうか?

こちらの答えもノーです。

生存者バイアスに潜む危険性はここです。

生存者バイアスは社会の問題を個人の問題にすりかえる

「皆別々の個体であり、強さも特徴も事情も異なるのだ」という多様性を認めない姿勢は、社会の多様性を潰していきます。

また、この奨学金問題の例で言うならば、資源の無い国で人材育成に力を入れないのはいずれ国際競争力の低下を招くという視点も欠落しています。

更に言うならば、教育に費用がかかり過ぎると、当然のことながら子供を産む人が減ります。

これらはまさに現状の日本が直面している問題なのですが、それでも「学びたいのはおまえの勝手だ」と、個人レベルの問題としてしか考えられない人がいまだに居るのです。

これは単純に視野が狭いという話ではなく、もっと根深い心の問題が潜んでいます。

かつて苦しみを味わった当事者であるというのに、何故同じ苦しみの中に居る人に対して厳しくなるのでしょうか。

それをひも解いていきましょう。

生存者バイアスにかかっている人は過去を乗り越えられていない

ここでこんな言葉を聞いたことはないでしょうか。

「苦労したから人に優しくできる」

これは生存者バイアスにかかっていない人の話で、現実にはそうではない人が大勢居るというのは、あなたもご存じのとおりです。

彼らの心の奥に有るもの。

それは「承認欲求」と「不公平感」です。

一つずつご説明します。

まず「承認欲求」についてです。

これは「こんなに苦労してきたことを解って欲しい」「認めて欲しい」「偉かったね、立派だね、頑張ったねと言って欲しい」という気持ち。

もう一つの「不公平感」は、かつて自分が苦しんだのに、後進の人たちが周りに手をさしのべてもらえることに対する不満です。

生存者バイアスにかかっている人は、同じような境遇の人を激しく批判する場合にご自身の身の上話をする傾向が有ります。

他人にとって無関係な個人的な話をする上に「だからあなたも苦労しろ」というのは何の整合性も無い独りよがりな行為です。

もっともらしいことを言っているように見えて、単にその人の感情の問題なのです。

厳しいことを言っているようで結局甘えている

人間は加齢に伴い精神的にも成熟していくことが求められます。

かつての自分の経験から学んだことを社会の発展に生かしていけるのは大抵の場合は大人になってからなのです。

しかし、生存者バイアスにかかっている人はこれを放棄しています。

社会問題ではなくいつまでも個人レベルの問題としてものを見るのです。

これは率直に言ってしまえば「自分が気に入らないから社会にご機嫌をとってもらおうとする甘え」であり、未成熟な行為です。

社会全体を良くする方を選択するのではなく、不公平感を感じるという自分の感情を優先しているのです。

それは彼らが過去を乗り越えることができていないからに他なりません。

過去を乗り越えるために必要なこと

生存者バイアスにかかっている人々も、苦しんできた当事者であることに他なりません。

友人との時間や欲しい物を諦め、絶望を何度も感じて毎日歯を食いしばって生きた人も大勢居るでしょう。

または死んでしまいたいと毎日泣いて過ごした人も居るでしょう。

その想いは癒される必要が有ります。

そのために必要なことは、生き抜く強さが有ったという事実に感謝をすることです。

否定したくなるかもしれませんが途中で力尽きている人も居るのですから、これは紛れもない事実です。

そして自分の感情がまだ癒されていないことを認めてください。

あなたの怒りの矛先を向ける相手は、本当にその人でしょうか。

じっくりと考えてみてください。

もし、これを読むあなたが、かつて非常に苦しんで生き抜いたのだとして、同じ想いをする人が増えて欲しくないと願っているとします。

しかし、恋人や友人が正反対の恵まれた環境に居るという現実に割り切れない感情を抱いている場合、こう考えてみてください。

「同じ想いをする人が増えて欲しくないと願っているのに、こう感じるのは矛盾している。この人は、私の願いを叶えた一人。好きな人が幸せに生きてきたということは、感謝にあたいすること」

生存者バイアスにかかっている人は見当違いな怒りを抱きやすいので、ご本人も苦しむことになるのです。

本当の意味で、過去を乗り越えましょう。


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