必要な出会いなら必ず目の前に現れる

いらっしゃいませ。
私たちは幸せと聞くと「苦しみも何も無い楽ちんなコースが目の前に現れる」と思ってしまいがちです。
しかしながら実際にはそうではありません。
現在地によっては、軌道修正の為に苦しみを伴う事も有るのです。
そして幸せの為に必要なものと今欲しいものが噛みあわない事も有るのです。
どういうことでしょうか。
例えば恋愛をする度に強い不安を感じる人が居たとします。
この人が本当に手に入れなければならないものは「自分を愛している実感」です。
冗談ではなく、自分が自分を愛していれば、人からの承認を求めたり、評価を気にして不安になることはほとんど無くなります。
しかし、この人はどんな言葉を恋人から貰っても、嬉しいのは一時だけで、またすぐに不安になってしまいます。
「あの人は彼の好みじゃないかしら?」
「新しく入社してきた人、彼女に気が有りそう」
「心変わりするのではないか」
「同窓会に行って昔の同級生と意気投合してそちらに行ってしまうのではないか」
「今日のデートのあの発言で嫌われたのではないか」
そんな風に常に心配と不安が尽きません。
この人は自分にとっての幸せとはこうであると考えています。
「好きな人から、同じように愛されること」
しかし、この人は「好きだよ」「愛しているよ」とどれだけ言われても、少し経つとまた不安になるのです。
つまりこの人は相手がどれだけ愛してくれていても幸せにはなれないのです。
何故なら自分を愛していないからです。
この人が本当に相手からの愛を感じ、いつも温かで軽やかで、そして穏やかで優しい気持ちで居る為には、自分を愛する事を学ばなければなりません。
その学びの過程で現在の恋愛への執着を手放す事が必要とされるかもしれません。
失恋をきっかけにして自己愛と向き合い始めるかもしれません。
その瞬間は「この人と愛し合いたい」という願いは叶わなかったと感じ、虚しさと強い悲しみに襲われるでしょう。
しかし、ここで自分を愛せるようになった場合、その先の恋愛では、今までのように不安にならずに済むのです。
その瞬間の願いであった「今好きな人と愛し合う」という願望は成就しなくても、恋愛で幸せを感じられるようになるのです。
後々振り返り、その転機に感謝するでしょう。
しかしながら、その変化の必要性に気付けない場合、永遠に同じ事で苦しみ続けます。
「今好きな人」とずっと一緒に居られても、結局は不安なままなのです。
これが「変化の時は苦しい」という一つの例です。
冒頭でも申し上げましたが、必要なものと今欲しいものが噛みあわない事が有ります。
その時は苦しいのです。
しかし、そこは別れ道です。
変化するのか?しないのか。
学ぶのか?繰り返すのか。
「私はチャンスに恵まれない」「ちっとも幸せになれない」そうお嘆きの方は、可能性に気付いていないだけなのかもしれません。
今はまだ途中であるという事に、気付いていないだけなのかもしれません。
人生のサポートは時にスパルタ
人生からのサポート
高次の存在からのガイダンス
こう聞くと、何か崇高なお導きや予知夢、不思議な老人との出会い、偶然見つけた路地裏に不思議なお店が有り、そこで発見した本に啓示が・・・なんて考えてしまいそうになりますが、そうでは有りません。
人生はあなたの幸せの為に実に多くのサポートをしています。
そして学びに気付く為のきっかけをくれています。
必要な出会いを与えてくれています。
しかし、それに気付けない人も多いのです。
何故かというと、人生からのサポートはかなりスパルタだからです。
苦しみ、悲しみ、虚しい、孤独、怒り、金銭的な苦労。
様々な形であなたが学ぶべきものを獲得出来るよう、サポートしてきます。
スパルタであればある程、現在地と学びのゴールが離れているという事なのです。
そこで「自分の人生は恵まれていない」「いつまで経っても幸せになれない」と嘆く事は有りません。
それはまだゴールではないというだけです。
学びの中に居るだけなのです。
一つの学びを終了させると、現実が大きく動きます。
正確には終了させる前から動き始めます。
「十年前の自分なら理解出来なかったけど、今だから腑に落ちる」と感じる言葉や人との出会いというのを経験した事は無いでしょうか。
ゴールまでの道のりの為にまずあなたの変化が必要だったというケースです。
RPGのゲームでもそうですよね。
魔王を倒す為には装備を整えなければならない。
しかし装備を買うお金が無い。
だから平原を歩き回り敵を倒してお金を稼ぐ。
このように、道のりは一本道の楽々コースではなく、いくつものステージが用意されています。
人の学びの道も同じです。
特に愛の学びは険しくなります。
しかし、そこから逃げずに向き合えたなら、一生ものなのです。

必要な出会いとは
何度も言うようですが、幸せの為に必要なものと今欲しいものが噛みあわない事も有ります。
というか、大抵の場合は噛み合いません。
何故かというと、その時に欲しいものというのは、「自分を幸せに出来ない今の自分が執着しているもの」の可能性が有るからです。
ですから、あなたが「自分を幸せに出来る自分」になると、欲しいものが変わったりします。
ですから、今欲しいものが手に入らない事が不幸である、という訳では有りません。
そして「必要な出会い」というのも、あなたにとって優しいものとは限りません。
とても意地の悪い人との出会い、傷つく言葉、不当な扱いという経験なのかもしれません。
あなたから見て「私はこんな事ばかり起きる、こんな人にばかり会うのに、あの人はちっともそんな目に合わない」と感じる他人が居るのであれば、それは学びが異なる為です。
別にその人があなたよりもツイている訳では有りません。
人は自分の苦しみ以外見えなくなりがちです。
人が想像も出来ないような課題に取り組んでいるとはつゆほども知らない訳です。
あくまでも自分の課題にだけ集中しましょう。
他人と比較しないようにしましょう。
あなたから見て完璧に見える人もまた、あなたとは異なる学びの中に居るか、もしくはかつてそれを終了させているかもしれないのです。
そしてあなたが何を学べば良いのか解らないとしたら、あなたの心を掻き乱す人や嫉妬や羨望の対象となるまさにその人が、ヒントをくれます。
美しくて若くある事に囚われ自己肯定感が小さくなっていると、「美しくて若い人」に嫉妬をします。
その場合この嫉妬の感情が、自分の自己肯定感や無価値感と向き合うきっかけを与えてくれているのです。
そこで嫌味を言ってみたり意地悪をしては、せっかくの気付きのきっかけや学びのきっかけをみすみす手放す事になります。
人生を台無しにする人というのは、この「必要な出会い」に気付けません。
そして自分の中に芽生える嫌な感情を、他人がもたらしていると思い込んで他責に走ります。
環境や誰かを責めるだけで自分を変えないというのはこういう事です。
勿論、人生の中でそのようなステージを経て、次のステージへと進む人も居ますので、仮にあなたが今そうであっても、それは「今はそのステージ」だというだけの話です。
自分の中に「変わらなければ」という現状への違和感が芽生えているのであれば、それは今です。
この記事があなたにとって「必要な出会い」となれるのであれば幸いです。
