宗教や自己啓発セミナーとの付き合い方

2019年06月03日

 いらっしゃいませ。

「最近とある宗教に誘われました。話だけと思い集会に行ったら、あれよあれよと話が進んでしまい、10万円の献金をしてしまいました。この宗教は本当に信用出来ますか?献金する事で本当に幸せになれるのでしょうか?」

これは、恐らく十年以上前だと思いますが、実際にされた相談です。

ちなみに占いの鑑定ではなく、プライベートでコンタクトを取ってきた方からのご相談でした。

私はこうお答えしました。

「今が幸せではないなら、その先に幸せは無いです。お金を出したくないと思うのであれば出さなくて良いです。」

昨今、スピリチュアルが絡んだ様々な事件や報道、そして「個人の幸せの追及」の時代に突入している流れからか、気が進まないものには関わらないという姿勢を示せる人が増えてきました。

結果、新興宗教や自己啓発セミナーの新規獲得活動は一昔前よりは目立たなくなってきたとは感じています。

しかしながら、まだまだ上記の方のように迷ってしまわれる方もいらっしゃると思いますので、今回の記事を書きました。

また、多くのカルトの洗脳プログラムを応用した自己啓発セミナーも存在しており、私たちの生きる世界はまさにカオスな状態です。

自分の人生を守る為のヒントも書いておりますので、最後まで読み進めていただければと思います。

判断基準はたったの3つ

まず、大前提として、誰が何を信仰しようが何に傾倒しようが、個人の自由です。

世の中には「正しい宗教」「本物の宗教」という言葉を使う方が居ますが、そんなものは存在しません。

どのような教えもどのような宗教団体も、どこかの誰かから見ればおかしいのです。

ですから、キノコを崇めたてまつろうが、筋トレを義務化していようが、自由なのです。

ただし、「他者の人生を破壊しない」という万人共通の約束は守らなければなりません。

自分の人生はあくまでも自分の中で完結するものであり、他者を巻き込む事が前提となるのはただの傲慢で勘違いな行為です。

カルトと呼ばれる宗教の多くは、子供や配偶者、親、友人にも思想を広めようと躍起になります。

これは他者の思想を尊重しない行為なので嫌われるのです。

更に言うと「破壊的カルト」と呼ばれるものについては、財産、学ぶ機会、就労の機会等、あらゆるものを団体の為に管理しようとしますから、社会問題となるのです。

この世に本物の宗教なんて有りません。

しかしルール違反の宗教は数多く存在しています。

私たちが自分の尊厳や人生を守る為には、そのような宗教と出会った時に、見極める力も必要となります。

その一つが「他者の人生を巻き込む前提の教義、あるいは活動が無いか」という点です。

そしてもう一つ、誰に判断を仰がずとも、あなたが判断基準に出来るものが有ります。

それは「感情」です。

「モヤモヤする」「なんとなく嫌だ」「なんとなく気が進まない」

このような「なんとなく」程度の感覚で構わないのです。

恋愛についてこんな言葉が有ります。

「好きでいなければと思うのであればもう好きではない。好きになってはいけないと思うのであれば、もう好きだということ」

これは恋愛以外でもあらゆる事に言えます。

特に今回のテーマと相性の良い考え方です。

ある程度の期間関わりを持つと、今度は最初の頃のように疑念を持ってはいけないような気持ちになります。

「信じ続けようと努力する」と言い換えれば解りやすいでしょうか。

もうこの時点で本心では信じていないのです。

しかし、意固地になってその感情に蓋をし、信じようとします。

何故でしょうか?

それはとある心理が働いている為です。

その心理とは「コミットメントの一貫性(またはコミットメントと一貫性)」です。

今まで行ってきたことを正しいと思いたいが為に、最後までその行動を一貫させて続けようとすることです。

例えば、「もう無理だと解ってはいるけれど、長年追ってきた夢だから今更諦められない」など、身近にもありふれている心理です。

関わる期間が長引けば長引く程、強くなります。

何故なら、誤りであったと認めてしまえばそれまでの時間を否定する事となり、もう二度と戻ってはこない日々や金銭への虚しさが生まれる事は目に見えています。

そんな事実に精神が耐えられないと薄々解っているのです。

あなたが「信じなければ」と意固地になる時、「コミットメントの一貫性」が働いていないか、自分を客観視してみて下さい。

最初は痛みを伴うかもしれませんが、何かを手放せば、違う生き方を手にするだけのことなのです。

怖い事は有りません。

では、あなたが自分にとって望ましくないものかもしれないと判断する基準についておさらいです。

①他者の人生を巻き込む前提の教義や活動内容ではないか

②感情が拒否していないか

③コミットメントの一貫性が働いていないか

幸せの定義について

そしてもう一つ。

冒頭で紹介したような内容のご相談をしてくる方にとにかく多い姿勢が有ります。

それは「幸せは、いつかなるもの」だと思っているということです。

しかし、幸せはいつか突然与えられるようなものでは有りません。

苦しみの中で不平不満だらけで過ごしていたら、ある日突然白馬の王子様がやって来る・・・なんていうことも有りません。

幸せは気付くものです。

条件でもなければ魔法でも有りません。

幸福感、穏やか、感謝、優しさ。そのような感情でいっぱいで居られれば、それは幸せなのです。

その為には感情のケアが大切になります。

にもかかわらず、不満だらけでお金を出したり嫌々集会に行くなんて最悪の行為です。

そのような気分を重ねた先に幸せが有る訳が有りません。

出したくないお金は出さなくて良いのです。

嫌なら行かなくて良いのです。

「私には必要無い」と言って良いのです。

あなたの人生であなた以上の正解は居ません。

自分の人生を生きたいのなら、人生のハンドルを他人に握らせてはいけません。

自己肯定感を高めたい、幸せを自分で作っていきたい、カルトや洗脳について知りたい方は、こちらのリンク先にオススメの書籍を紹介しております。



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