ペットロスの乗り越え方

いらっしゃいませ。
本日は、ペットロスの乗り越え方をテーマに致しました。
私も最愛の子を失った経験が有るのですが、そこから感じたことがあります。
それは、「どんな形でお別れをしても、後悔は残る」ということです。
そして「悲しまなくなることが乗り越えるということではない」ということです。
あなたがまだ喪失感と悲しみの中に居る場合でも、まだその時を迎えていなくても、必ず来るその時のために、是非最後まで読み進めていただければと思います。
最愛の子を失った日
最愛の子をどのようにして失うのかは、人により様々です。
ここで私の話をさせてください。
家は元々転勤族で、あるとき中庭の有る一軒家に引っ越しました。
初日も二日目も、中庭に何匹もの猫が現れ、その近所は野良猫がとても多い地域であるとすぐに気づきました。
そんなある日、白い子猫と出会いました。
目が水色で毛が長い子でした。
母猫と兄弟猫と共に実家の中庭に現れたのです。
それからその子は毎日、家の中庭に現れるようになりました。
すぐに「しろ」と呼ぶようになりました。
この子との出会いが私の人生を大きく変えることになりました。
しろが現れて一年ほどした頃でしょうか。
しろが中庭でじっとしているので、何かと思い視線の先を見ると、キジトラの子猫が居ました。
茶色と黒の縞模様で、手のひらサイズの子猫でした。
しろはもう大人になっていたので、そのキジトラの子猫よりもずっと大きくなっていました。
攻撃したりしないかとヒヤヒヤしたのですが、その心配は無かったようで、しろはすぐにその子を受け入れました。
それからそのキジトラの子猫も、中庭に入り浸るようになりました。
しろにベッタリとくっついて離れず、慕っているのが伝わってきました。
動物も恋愛感情のようなものを感じている可能性が有ると、脳科学者の方が言っているのを聞いたことが有りますが、どう見てもその子はしろに恋をしていました。
私はその子を「ちび」と呼ぶようになりました。
全くなついてくれず、近づくと逃げてしまう子でした。
それからだいぶ経った頃、このちびのお腹が大きくなっていることに気づきました。
私は実家を出てこの子たちと暮らすことにしました。
やがてちびは4匹の子猫を生みました。
1匹だけ白猫が居たので、しろの子供だとすぐに解りました。
しろはまだ野良猫でしたが、一緒に連れて行くと決めていました。
しかし、引っ越しが迫った頃、しろは家にやってこなくなりました。
ギリギリまで探しましたが再会することは出来ませんでした。
もうずっと昔の話になりますので、猫の寿命を考えると、しろはもうこの世に居ない可能性が高く、私は時折思い出しては後悔の念に苛まれていました。
どういう最後を迎えたのだろうかと考えると、悲しくなりました。
もしかしたら苦しく寂しい最期を迎えたのではないか?と考えると、手元に残った猫たちは全員私が看取るんだという気持ちになりました。
しかし、いつか来るその日を考えると恐ろしく、なるべく考えたくはありませんでした。
猫たちとの生活が始まり何年も経ち、ちびはすっかり甘えん坊になりました。
遠慮しがちな性格で、膝に乗りたそうにしては躊躇してやめ、身体の一部を私の足にくっつけて寄り添っているような子でした。
そんなある日、ちびがヨダレをたらしてじっとしている事に気づきました。
病院では「難治性口内炎」と診断されました。
猫の口内炎は人間の口内炎とは異なり、自然治癒せず、ハッキリとした原因も不明なのだそうです。
現在の医療でできることは、犬歯より後ろの歯を全て抜くという「全顎歯抜歯」という手術で、それでも完治するかは五分五分で有ると言われました。
実は、ちびの子供のうちの1匹がこの手術をしたことがあり、その子は綺麗に治り、再発もしていなかったので、ちびも同じように治るのだと思っていました。
手術後、ヨダレは無くなり、また食欲も元通りとなり、私は安心していました。
しかし、その半年後、再発してしまいました。
そのせいで食事を摂るのが難しくなり、病院では脱水症状が有るとのことで注射をし、明日また連れてきてくださいと言われました。
翌日は前日よりも明らかに元気が無く、この時にやっと血液検査を行いました。
急性じん不全を発症していると告げられました。
ここからは水一滴口にも出来ず、家でずっと横たわっていました。
翌日病院に連れて行く道のりでは不安でいっぱいでした。
病院に着いた頃には口から泡を吹いており、ドクターからは、脳が委縮していると告げられました。
そのまま入院することになり、夜、病院から電話がありました。
心臓が止まったとの知らせでした。
急いで駆け付けると、心肺蘇生の最中で、また心臓が動き出したと伝えられました。
数日前までのちびではなく、もうぐったりとしていて、私は「ちびはもう助からない」と感じました。
しかし、この数日、日に日に衰弱していくちびを見ながら、看取るかもしれないという覚悟をしようとしませんでした。
それは「その覚悟をしたら、この子の命を諦めるようで失礼な気がした」からです。
だから看取る可能性を認めることが出来ませんでした。
ちびの心臓は止まったり動いたりを繰り返しており、もう命が消えていくことは素人の私の目から見ても明らかでした。
入院するか、連れて帰るかの選択を迫られました。
夜間は病院が無人になるからと、連れて帰ることを勧められました。
ドクターも、もう助からないと感じてはいたと思いますが「まだ諦めた訳では無いので、明日また連れてきてください。入院できるように一部屋空けておきます」と言ってくれました。
タクシーの中で、ちびの口が動くのを一度だけ確認できました。
10分もかからない時間でしたが、家に着く頃にはちびはもう亡くなっていました。
病院で「心肺停止状態から何度も蘇生することは珍しい。強い子ですね」と言われたのですが、私が到着するまで待っていてくれたのだろうか、最後まで優しい子だったのだなと思うと、涙が止まりませんでした。
それから朝方までちびの隣で寝ました。
朝がきても、ちびはもう目覚めることはありませんでした。
その後数日の間は喪失感と悲しみと、そして後悔の想いで泣いていました。
体調不良だと言って仕事も休みました。
つい数日前まで元気だった子を失った喪失感、最期が苦しいものになってしまった申し訳なさと悲しみ、そして、病院に最初に連れて行ったときに血液検査をして欲しいと言っていたら、こんなことにはならなかったのではないかという後悔が有りました。
残されたちびの子供たちは、ちびの亡骸がちびだと解らないようでした。
火葬業者に引き渡した後、ちびの子供たちを抱きながら横になり泣いていました。
「ちび、ごめんね」という想いでいっぱいでした。
すると1匹の猫が私の頭を両前足でつかみ、頭をかじり始めたんです。
普段そんなことをしない子なので、叱られたような気がして笑ってしまい、そのときから気持ちが変わっていきました。
乗り越えるとはどういう意味なのか
この記事を書いている2019年5月で、ちびを失い丸2年となります。
私はちびの命日を記憶しないようにしていたのですが、何日に亡くなったのか日記を確認すると、2年前の今日でした。
ペットロスについての記事を書こうと思ったのは昨夜のことです。
2年経ち、この記事を書いている私は、もうすっかりちびの死を悲しまなくなっていると思いますか?
答えはノーです。
この記事を書きながら、やはり涙が止まりませんでした。
しかし、私はもうちびの死を乗り越えています。
乗り越えるということは、悲しまない日が来ることではありません。
感謝で満たされる日が来ることです。
思い出したらやっぱり悲しくはなるんです。
涙も出ます。
しかし、それでも出会えて良かった、家の子になってくれて良かった、ありがとう。
そう思えるようになったとき、その子とのお別れを乗り越えられたということです。
冒頭でお話したしろですが、私は彼の最期を見届けられなかったことが後悔として残っていました。
だからちびを自分が看取れたことだけは、良かったのだと思っています。
入院中に亡くなれば「最期くらい家で過ごさせてあげれば良かった」と後悔し、連れて帰って亡くなれば「入院していたら助かったのかもしれない」と後悔し、事故で亡くせば「あの日あの場所に行かなければ良かった」と後悔します。
そして「もっと構ってあげれば良かった」「こんなことになるなら、あの時に欲しがったおやつもあげれば良かった」と後悔します。
看取り方で変わるのは後悔の内容だけです。
どんな形で失っても、後悔は残ります。
その子を看取るのがあなたで良かったのだということ
この記事を読んでいる方の中には、最愛の子を失ったばかりの人も居れば、まだその日を迎えていない人も居るでしょう。
しかし、愛される子の数だけ必ずお別れが有ります。
そしてその経験を、掲示板やブログに書いている人も大勢居ます。
悲しみや悲痛な叫び、悔しさが伝わってきますが、皆乗り越えようと懸命にもがいています。
同じような方の経験を読むことで、あなたが最愛の子の死を乗り越える助けを得られるかもしれません。
自分ではない誰かに愛された動物たちは、皆あなたの最愛の子と同じです。
世界中で同じ悲しみが毎日生まれています。
どんな形で失ったとしても、愛したあなたが看取るのであれば、それは最良です。
あなた以外誰も居ません。
あなたで良かったんです。
後悔しない別れというのはなかなか無いと思います。
どこかでやり切ることが出来なかったという想いが残るものです。
しかし、それは毎日「今日が最後の日」と思わずに過ごさせてくれた、最愛の子の優しさが有ったからです。
幸せだった筈です。
そのことに感謝できるようになった時、最愛の子の死を乗り越える日を迎えます。
あなたにその日が訪れるよう、心から願っております。