ほとんどの優しさは見えない

2019年05月13日

 いらっしゃいませ。

あなたは、自分の向けた優しさに気づいてもらえないと感じて虚しくなることはないでしょうか。

「あの人はアピール上手なだけで本当は優しくない」と、納得できない気持ちになることはないでしょうか。

または「自分は人に優しくされない、人に恵まれていない」と感じることはないでしょうか。

そんな気持ちを抱いた人に覚えておいていただきたいことが有り、今回の記事を書きました。

是非最後まで読み進めていただければと思います。

向けられる優しさのほとんどが、あなたには見えていない

まず、誰からも優しくされない人間というのは存在しません。

そんなことない!私はちっとも優しくされない!と感じるのであれば、それは単に気づいていないだけです。

性格のよろしくない人に対しても優しくする人というのが世の中には結構存在します。

その人たちは問答無用に誰にでも優しいので、優しくされないといくら嘆いたところで、残念ながらそれは思い込みです。

例外は外界から隔絶された環境で、特定の酷い人たちとしか接することが出来ない人位ですが、そのような人はまずこのサイトを見ていないと思いますので今回の前提からは除外します。

今回の記事を読み進めていただくにあたり知っていただきたいのは「優しさというのは見えないことが多い」ということです。

あなたのために黙ってくれた、気づかないフリをしてそっとしておいてくれた、とても疲弊している中で話を聞いてくれた、あなたの噂話が出た際にフォローしてくれた、あなたが立ち回りやすいように配慮してくれた。

世界はスマートな優しさで溢れているのですが、これに気づけない人は意外と多いものです。

アピールされる優しさにしか気づけない悲劇

「あなたのために○○をしておいたよ!」とアピールされればとても解りやすいですよね。

しかし先述したように、優しさのほとんどは見えないものです。

あなたの誕生日にプレゼントをくれるのも優しさなら、こだわりが解らないので今回はやめておこうと何も渡さないという選択をするのも優しさです。

アピールされる優しさにしか気づけないと、とある悲劇を生みます。

一つは「人の優しさに気づけなくなる」ということ。

そしてもう一つが「アピール上手なだけの人を特別な人だと勘違いしてしまう」ということです。

一つめはここまでお読みいただいたことでお解りいただけると思いますが、問題は二つめです。

どういうことなのかご説明致します。

優しいのはどちら?

もしもの話をさせてください。

もしもあなたがダイエット中だとします。

とてもストイックにダイエットしており、そのせいなのか脂っこいものを食べると胃もたれを起こすようになっているとします。

その上花粉症を発症しており外に出るのが辛い状態です。

そんなとき、あなたの誕生月になりました。

あなたに好意をよせているらしき知人から、数名であなたの誕生パーティをしようと誘いが有りました。

「屋外」での「バーベキュー」だそうです。

この知人はあなたの状況を全て知っています。

誘い文句は「毎日頑張っているのだからたまには美味しいお肉を食べようよ!ステキなロケーションの場所を見つけたんだ!」です。

他にもあなたに好意をよせているらしき知人が居ます。

その人からはパーティの提案は無く、お誕生日にLINE、もしくはメールのみが届きました。

この人もあなたの状況を知っています。

単純にアピール力が有るのはどちらでしょうか。

言うまでも無く前者です。

しかし本当に優しいのはどちらなのでしょうか?

これが実際に起きた場合、大抵の人は後者に対して「ただおめでとうLINE(メール)を送ってきただけ」という印象を持つと思います。

では、この後者の人は、どうしておめでとうLINE(メール)を送るだけとなったのか、裏側を見ていきましょう。

この後者の人はあなたにずっと片想いをしており、なかなか誘える口実も無いので、本当はイベントにかこつけて誘いたい気持ちがありました。

しかしあなたの状況を知り、「ダイエット中なら食べられるものに制限が有るだろうし、ディナーに誘ったらいつもより食事の時間が遅くなってしまうかな。」と考え、今回はお誘いしないことにしたのです。

寂しかったのですが、おめでとうLINE(メール)だけを送りました。

こういったことは日常のあらゆる場面で起きていると思いますが、解っておいていただきたいのは「あなたにはその人がその行動に至った裏側は見えない」ということです。

だから解りやすくアピールしてくる人を「こんなに自分のことを考えて気にかけてくれる優しい人」と思ってしまうのです。

こういうアピール上手なだけの人を見抜けないと、ろくでもない人を恋人に選んでしまったり、信用してはいけない人を信用してしまうという悲劇が起きかねません。

彼らはただ自分の欲求に忠実なだけで、もっともらしい言い方が上手いので、当然見抜けない人も出てきます。

もちろんただ気が利かないだけという人もいるのですが、こちらは日常生活でそれがボロボロ出ているので既に気づいているでしょう。

問題は、頭は回るのに優しくは無い人たちの方です。

彼らに好意的に思われていない場合、自分をアピールする為にあなたのことを利用しかねませんので、冷静に見抜けるようになった方が安全ではあります。

では、どのようにして見抜けば良いのでしょうか。

優しさを装う自己アピールに気づくには

昔からよく言われることですが「言葉より行動を見ろ」これに尽きます。

そしてもう一つ。

自分が人に優しくあり続けることです。

そうすれば、優しさの大半には誰も気づかないのだと肌身で解ると思います。

最初から、気づいて欲しいという期待はしないことです。

そのうちただの日常になります。

しかし「見ている人は見ている」という言葉も有るように、解る人は解っています。

それはあなたがほとんど口をきいたことが無い人かもしれません。

その人たちは、あなたの隠れた優しさを「言わぬが花」として評価しているので、直接賛辞を伝えてくることは少ないのです。

そして先の例のようなアピール上手な人たちも、解る人には解ります。

あなたが「誰も私のしたことに気づいてくれない」「誰もあの人が本当は優しくないということに気づいていない」と感じたとしても、実際には他にも気づいている人というのは居るものです。

しかし彼らは大抵の場合思慮深く黙っているので、存在が見えにくいのです。

自分の優しさに気づいてもらう方法

もしもあなたが心の中で不満を抱くのみならず、誤解されていたり損をしているのであれば、上手くアピールする術を知っておいた方が良いでしょう。

その方法というのは「一応口に出す」というものです。

先のお誕生日の例で言うならば、おめでとうLINE(メール)にこのような一文が加えられていたらどうでしょうか。

「あなたのお祝いパーティをしたいと思ったのですが、ダイエットを頑張っていらっしゃるので今回はやめておいた方が良いのかなと思い、LINE(メール) だけにしました。もし食べたいものが出てきたら、お祝いするので是非言って欲しいです!」

これなら「ああ、この人は自分の状況を知って配慮してくれたんだ」と解るかと思います。

このように、行動はそのままで良いので、「何故この行動に至ったのか」伝えてみると、気づいてもらえる機会はグッと増えます。

優しくされて当たり前と思わない

最後に、人から優しくされるということは、その人が自分のことを考えて愛をくれたということです。

それは感謝すべきことであり、足りないからもっと欲しいと不平不満を口に出すのは、人から愛を奪おうとするマインドです。

このマインドで居る限り不公平感も不満も無くなりません。

「隠れた優しさが見えないなら無いのと一緒」かもしれません。

人の優しさや愛はそのような扱いをされがちです。

ですから「見えないものを見ようとする姿勢」が必要とされるのです。

自分が十分に人から優しさをもらっているということに、まずは気づいていただければと思います。

自分から先に「気づける人」になりましょう。

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